2013年11月18日刊行予定
佐々木 中 『らんる曳く』
河出書房新社 ▷www.kawade.co.jp
定価:1,890円 本体価格:1,800円
四六判 上製カバー装 144頁
978-4-309-02233-8 C0093
炎天、真しろく熱されて、万象ひとしなみに光る。眼の硝子体の奥底までを、けじろい乱反射でしいたげる。光暈だけで出来た世界は、くずおれ、よわり、少しずつ、すこしずつ、かすれがちな輪郭をうかせてくる。そのかよわい線がつながり、くろぐろとした翳を滴らせる、まで、ひっそりと立ち静まっていた。まだ、じいんと痺れ果てた二つ眼が、それでも幾度もの瞬きをへて、痴失からたちなおり、翳を吸う。また吸う。みるみる空は碧さをとりもどして、天頂を濃はなだ色にまで、殆どかぐろいようにする。今日はもう夏だ。(中略)
目の前にあるのは西本願寺、背中にむけてきたのは東本願寺で、これは堀川通と知れる。長い夜をあかして昼ひなか、ゆきかう車の排気のにおいが、いっそ懐かしい。車をとめようとして、堀川正面交差点をわたると、臓腑の底からあおぐらいような渇きが昇ってきて、口のなかにはきだす唾液の一滴もむすぶことができず、ねとつく口蓋の感触が、身のすべてにひろがって、胃がのろのろとひくつき、それが嘔吐(えず)きになりかかる。みずをもとめて、お西さんの御影堂門をくぐると、大銀杏のみどりの陰影がまばゆく、はてしなくて、逃げるように売店に入っていき、鉱水のボトルを一気に呑み下すと、そこでやっと、女人とまじわり酒がのこる、この匂い立てる一つ身で、というような不逞を、思うことができた。親鸞、上人だから、な。と、浅知恵がはしりたければ、好きにはしらせて、境内をよろぼいゆく。瓦いちまいずつが陽光をひんぴんとはねさせ、巨大な屋根がおのれをきらめかせている下で、御影堂からあがって、阿弥陀堂へと、ひろびろした廊下をつたっていく。簡素といえばいいか、豪壮といえばいいか、権柄尽くといえばいいか、判るわけがない。が、ともあれ、うつくしい焦げ色の大柱に手をあてて、御堂がつくるしばしの暗みから、屈託もなく、いちめん何もない宏大な夏いろのあかるさを、阿弥陀堂門の彼方をとぶ、積雲のくも底が定規で切ったようにきれいに一直線にそろう、ありふれた奇蹟をみるのは、たのしい。この御堂を支える大柱に、仮のよすがにあてた手が、腰の奥の芯が、くたれて、熟寝(うまい)のあまさで折れるのを、支えているのか。まぶしがる瞼をあやしながら、つく手をかえて、もうひとつだけシャツの釦(ボタン)を外すと、恵梨香のにおいがした。和菓子の、練り切りの、ももいろの、さらつく面に、歯を立てたあの瞬間の香りを、ずっとずっと身の底からたてていた。おさな子のときから、春夏秋冬、水菓子(くだもの)ばかり食べていて、その滴る果汁が肉(しし)おきに染み、しみわたり、ながい時を経て、躰のすべての穴から隙間から、その熟(な)れのにおいがするのだった。おやみなく揮発して。後付けの香ではなかった。蒸れればつよく、かくしどころはなおつよく立つ、それを噛み、啜ってきた喉から、にわかにその戻りがこめて、昇ってくる。その息を吐くおのれを、聖(きよ)いと感じた。敢えても強いても、ない。